福田紀彦市長が登壇!「政治家になるにはどうしたらいい?」

「なるには」講座

6月22日(土)、第6弾「なるには講座」が、大山街道沿い、駄菓子の木村屋隣りの平原邸(二子新地/現在はコミュニティスペースCIRCLE)にて開催されました。9ヶ月の赤ちゃんから70代の方まで、38名の方が集まりました。

今回のゲストは、なんと川崎市長福田 紀彦(ふくだ のりひこ)さん!にこやかな笑顔のポスターを目にしたことがある方も多いのでは?

公約を記した名刺を手作り

講座の開始時間より1時間早く集まって、子どもたち(希望者は大人も!)は、名刺作成のワークショップに参加。

表には学校や学年、名前を書き、裏には「自分が川崎市長になったらやってみたいこと(公約)」を書きます。

同じものを3枚つくって、1枚は自分の記念に、1枚は寺子屋の記録に、そして、1枚は講座の後に、川崎市長との名刺交換会で使います。

みんな、じっくり悩みながら、それぞれの考えを書き入れている姿が印象的でした。

爽やかな装いで福田市長が登場!

時間ぴったりの14時半になると、爽やかなブルーのジャケット姿の福田市長が登場!

なんと、ポスター以上に、にっこにこで、スマイル200%といった感じのやわらかな雰囲気(笑)。みんな一気に緊張がほどけて、場が和やかになりました。

最初に、「なるには講座」コーディネーターの平原ちひろさんが、福田市長が小学5年生のときに書いたという作文の冒頭を音読。

もともと、部屋のあちらこちらに、その作文のコピーが貼ってあったのですが、それには、「社会科教授になりたい。みんなの役に立つ人になりたい」といった内容が書いてありました。

実はこれ、福田市長ご本人が提供してくれたものではなく、小学校のときに福田市長と同級生で、たまたま平原さんとも共通のご友人だという高橋夏子さん(映画「Given ~いまここにある しあわせ」の監督)が提供してくれたもの。
なので、サプライズ企画だったんです!

「みなさん、こんにちは!今日は小学校の文集が出てきてびっくりしました。こんなこと、書いていたんですね。

私は、考古学者になりたかった時期もあるし、天文学者になりたかった時期もあるし、お花屋さんになりたかった時期もあります。実はお花屋さんにはまだ憧れています。でも、今は川崎市長になってとっても良かったと思っています!」と福田市長がご挨拶。

どんな子ども時代を送っていたの?

いろんな職業に憧れていたという、好奇心旺盛だった子ども時代を振り返りつつ、講座がスタート。

「ボクの住んでいた麻生区には畑がいっぱいあって、学校帰りに畑に行くと、そこで土器がざっくざっく取れたんです!これは何千年も前の人が使っていた食器なんだなあ、と思うと楽しくて。

だからその時は考古学者になりたかったですね。その後、ハレー彗星が近づくことが話題になったときには、天文学者になりたいと思っていました。

政治家になりたいと思ったのは、高校2年生頃かな。ボクは麻生区の小学校と中学校に通っていたけれど、高校受験のタイミングで、お父さんのアメリカ転勤が決まって…。日本で受験する?それともアメリカに行く?となったとき、すぐにアメリカ行きを決めました。高校受験がイヤだったので(笑)。

でもね、中学のとき一番苦手な科目が英語だったから、アメリカに行ってからは大変でした。ハローしか言えなくて。最初は全然英語がわからないから、何を聞かれても笑うしかなかったなあ。でも1年経つ頃にはだんだん授業もわかるようになりました。」

どうして政治家になろうと思ったの?

「アメリカ人のお友達をつくろうにも、言葉が分からなかったから、ボーイスカウトに入りました。いっしょにキャンプをしたり、ハイキングをしたりすると、なんとなく友達になるよね。

ある日、その友達がこんなことを言い出したんです。

『ぼくたちが住んでいる街には、信号機が2つしかない。でも危ない交差点があるから、3つめの信号機を作ろう!』

ボクはとてもびっくりしました。だって、政治家でもなんでもない、普通の高校生ですよ!普通、そういうことはそれこそ市長だとか、大人の政治家が決めることだと思っていたから、高校生が信号機を設置しようとするなんて、ちょっとおかしいんじゃないかと思ったんです。

でも、その子は『信号機を作ろう』という話を、自分の仲間に話し、学校の友達に話し、友達の親に話し、そしたらとても盛り上がって、『市長のところへ話しに行こう!』となり、市議会議員にも説明し、最終的には3つめの信号機がついたんです。

たった一人の、ボクの同級生の言い始めたことが、大人を動かし、街を動かし、結果的に3つめの信号がつく、という体験をしたんですね。

その友達は、『自分たちの街は自分たちでつくっていくもの。信号や道路もそうだけど、病院や学校とかも、どうしたら良いのか、みんなで考えて作っていくんだ』と言っていました。

そのときに、『あ、政治ってこういうものなのか』、と思ったんです。それが政治家をすごく意識した最初です。」

その後、家族旅行でワシントンD.C.に行き、ケネディ元大統領のお墓を訪ねたという福田市長。そこには、ケネディが大統領になったとき、はじめて国民にスピーチしたときの一文が書かれていたそうです。

And my fellow Americans: ask not what your country can do for you – ask what you can do for your country.
(祖国があなたのために何ができるかを問うより、あなたが祖国のために何を行うことができるか問うてほしい)

「当時、ボクはあまりアメリカの政治家のことを知らなかったんだけど、『国があなたに何をしてくれるのか、ということを考えるのではなく、あなたが国のためになにができるのかということを考えてもらいたい』という一節を読んでびっくりしました。

それまでは、してもらうことばかり考えていたけれど、『自分が友達のために、周りの人のために、世の中のために何ができるかな?』と考え出したときに、もしかして政治ってこういうことなのかもしれない、と。

信号機だって、みんなが事故に遭わないための工夫だよね。それと同じように、学校やバスなんかも、どういう風にしたら便利かな、って考えるのがとても大切。そういうことに気づかされて、『よし、政治家になろう』って思ったんです。政治を通じて世の中に貢献しようと

どうやって政治の世界に入ったの?

「政治家になろう」と心に決めて、大学では政治を勉強したという福田市長。でも、家族にも親戚にも、そして知り合いにも誰一人、政治家がいなかったのだとか。そこで「どうやったら政治家になれるんだろう」と考えて、日本の政治家のところへ勉強しに行ったそうです。

「アメリカの大学の夏休みって、すごく長いんです。5月の終わりから9月の始めまで3ヶ月まるまる夏休みなの。3ヶ月、ぼーっとしていると、大変なことになっちゃうから、2年生と3年生の夏休みを使って、日本の政治家のところで勉強しようと思った。

政治とは何のゆかりもない一大学生が、どうやったら政治家になれるんだろう?どうやったら選挙に出れるんだろう?と思っても、ちょっとわかんないよね。

そこで、ボーイスカウトの人に『すみません、誰か日本の政治家を知りませんか?』って聞いたら、『あ、いるよ』って(笑)。それで、紹介してくれた政治家のところへ夏休みの間、お勉強にいきました。」

大学を卒業するときに、お世話になった政治家の方から「私の秘書にならないか?」と誘われた福田市長。意外にも最初はお断りしたそうです。理由としては、「高校、大学をアメリカで過ごしたから、もう少し日本で勉強した方が良いんじゃないかな〜?」と思ったから。

でもまる1日考えて、「一度政治から離れてしまったら、そのまま別の道を行って、そこで満足しちゃうかもしれない」と思い、秘書になることにしたそうです。

秘書から市長になるまで

7年間秘書をやって、それから、神奈川県の県会議員になりました。県会議員になったときはね、将来は国会議員になろうと思っていたんです。だけど県会議員をやっているうちに、少し考えが変わりました

今日は、「政治家になるには?」という講座だけれども、実は政治家もいろいろあります。市長であったり、市議会議員であったり、県会議員であったり。それから県知事も国会議員もある。

県会議員をやっている間に、『自分が政治を使って世の中を良くしていくためには、どんな種類の政治家になるのがいいのかな?』と考えたら、市長がいいと思ったんです。理由は、『自分たちの住んでいる街をどれだけ幸せにするか』を考えることが、結果的に日本全体を良くしていくための近道なんじゃないかと思ったから。

それで市長を目指したわけですが、1回目は落選しました。それから、次の選挙までは4年間。わかるかな?大学を目指して受からなかったら浪人しますよね。ああいう風に、1回落ちちゃうと4年間、次の選挙まで待たなくちゃいけない…。」

ここで、前列に座っていた小学生から「オリンピックと同じだ!」という声が。さすが、東京オリンピックを来年に控えて、4年という年数にはインパクトがあるようです。

「そうそう、オリンピックと同じだよね(笑)。でも、もう一回挑戦したいなと思い、がんばりました。それで今、市長になって6年目です。まだまだやることはいっぱいあります。」

市長のお仕事って何をするの?

「例えば、小学生一人あたり、学校教育に1年間でどれくらい税金使われていると思いますか?」という福田市長の問いかけに、集まった大人たちから「難しい〜!」という声が。 確かにそんなこと、記者も考えたことがありませんでした。「20万?」「50万?」と声が上がり、中には「3000万?」なんていう人も…(笑)。

「だいたい90万ちょっとかかります。中学生になると100万円を超えます。だから、小学生から高校生まで、だいたい1000万を超えます。それは、みんなのお父さんお母さんが働いて納めてくれている税金で成り立っているんです。 税金がなかったら、教科書が買えません。学校のトイレはいつまでたっても新しくなりません。古くなってきた校舎も改修できません。びっくりするでしょ?

保育園はもっとお金かかりますよ。保育園児に一人あたりかかる予算って、だいたい160万円くらい。高齢者も介護が必要になります。これも一人あたり160万円くらい。保育園も高齢者の医療費もご自分で 払ってもらうのは、1/4の40万円程度です。あとは税金。

だから、したいことはたくさんあるけれど、そのお金をどうやって生み出そうか?ということをいっしょに考えないといけないんです。あれやってください、これやってくださいと市民の皆さんに言われる。ボクも市長としてやりたいことがいっぱいある。でも、お金がいるよね。市長の仕事で一番大切なのは、予算をつくること

皆さんからの意見をふまえて、市議会議員の人と意見を交わして、どういう風にお金を使えば一番市民のためになるのか、みんなが納得できるのか、それを考える仕事をしています。」

政治への思いとこれからのこと

「今、政治家になりたい人は、悲しいことにほとんどいません。なぜだろう?もっと憧れの職業になってほしい。みんなにとって政治家ってどう映っているのかな、と心配になります。だから『今の福田よりも、自分の方がもっとできるんじゃないか?』と自信のある人は、ぜひ、立候補してほしいと思います。

さっきボク、下の駄菓子屋さんに行きました。いや〜、嬉しかった。うまい棒を30本(笑)買いました。子どもの頃から見たら夢のようです。でもこれ、何十種類もあるから楽しいんだよね。

それと同じで、政治家もいろんな考えの人がいていいと思うし、市民にとっても選択肢は多い方がいいよね。だから政治家になりたいと思う人が、もっともっと増えてほしい。そして、そのためには今、ボクが頑張らないと。 

AかBかどちらかを選択しなくちゃいけないとき、ボクの基準はひとつだけです。今する選択が、自分たちの子どもの時代、つまり将来の大人たちにとっても良い選択になっているかどうか…。

ボクの政治の究極の目的は、人が地球上でずっと平和に暮らし続けられることだから戦争なんかは絶対にしちゃだめだよね。そのために、ボクは今、この期間をやる。でも次の世代は次の人がやる。僕よりもっと良い人が出てきて、それをつないでいくことが大事だと思っています。」

時には親しみやすい話題で笑いを誘いながら、真摯に政治に向き合う心意気、平和への思いを語ってくださった福田市長。会場は、大きな拍手に包まれました。

名刺交換会(公約発表会)

最後は、子どもたちが一人ひとり、「自分が川崎市長になったらやってみたいこと(公約)」を福田市長にお伝えして、名刺を交換します。

トップバッターは小学5年生の男の子 
「僕が川崎市長になったら、すべての学校にスポーツウォールを置きます。理由は、ボクの街にサッカーボールを蹴っていい公園が少ないからです。学校にこれを置いてくれたら、思いきりサッカーができます。」

福田市長 
「最近ボール遊びできない公園が増えているので、ボール遊びできる公園にしていこうという働きかけをしています。もちろん、学校でもできるといいよね。だからいいアイディアだと思います。

実は学校に『ボールを当てる音がうるさい』という苦情がよく来ます。でも、学校の近くに住んでいるのだから、子どもたちが元気なことをご理解いただきたい。それもいっしょに訴えよう!」そこで、名刺を交換。

は小学生の女の子 
「私が川崎市長になったら、頭がよくなる勉強のアイパッドを増やしたいです。みんなの頭がよくなったら幸せになれるから。」

福田市長 
「なるほど、頭がよくなったら、みんな幸せになれるね!そのためにアイパッドをみんなに使わせてあげたい、ということですね。すばらしいです。」

次は、9ヶ月の女の子を抱っこしたママさんが登場。市長に娘さんを抱っこしてもらって、記念撮影をしました。

「私は、20歳のときから献血をやっていまして、先日50回目で表彰されました。川崎には溝口と川崎ルフロンに献血ルームがあるんですが、そこに託児サービスがあれば、良いことが3つあります。

1つ目はおかあさん達が2時間リラックスできる。そのときはテレビを観たり、お茶を飲んだり好きに過ごせる。お昼寝したっていい。

2つ目は、社会貢献したいという気持ちが満たされる。3つ目は、子ども達が親以外の人と関わる経験ができます。都内ではそういう取り組みが始まっているところもあるので、川崎でもぜひやっていただきたいです。」

福田市長 
「わお!いいアイディアありがとうございます!実は、赤十字の川崎支部長もやらせていただいているので、採用可能なように挑戦したいと思います。」
(その後、なんとこのアイディアは実現しました!▶︎詳細はこちら

小学4年の男の子 
「僕が川崎市長になったら、街を綺麗にするために、ゴミ箱を投票箱のような形にしたいです。」

福田市長 
「う〜ん、すばらしい!先日高校生が、やはり投票箱のような形の吸い殻入れを設置したら、ポイ捨てがなくなるんじゃないかというアイディアをもってきました。小学4年生にして、このアイディア、すごいです!」

小学6年の男の子 
「僕が市長になったら、地域と子どもの関わりが強い街にします。具体的には、地域の企業で職業体験の場を増やします。」

福田市長 
「なるほど!ちなみに行ってみたい企業はありますか?」

男の子
「近くではありませんが、品川区にある寺田倉庫に行ってみたい。毎週面白いイベントをやっている、地域との関わりが深い企業だと思うから。」

高校2年生の男の子
 「ボクの公約は自然の活用です。都市が発展すると、街から自然がなくなりがちだけれど、緑を増やす努力をしておけば、健康的な生活が送れると思うからです。」

福田市長 
「すばらしいですね!すごい高校2年生ですね。言うこと違うなあ。本格的なライバルが現れましたね。」

中学1年生の男の子(「なるには講座」コーディネーターの平原さんの長男)
「ボクは、起業する人の多いエストニアに注目しています。日本は国際的にみると起業率が低いそうですが、川崎市は全国で3番目に起業率が高いそうです。ボクが市長になったら、川崎市とエストニアの首都タリン市とで姉妹都市提携を結んで、起業について学び合い、仲良くなりたいです。」

福田市長 
「えー!びっくりしました。エストニアは世界でもっともITが進んでいる国のひとつですね。日本も、彼らからもっともっと学びたい。ボクも注目しているけれど、先を越されている感じがします。」

最後は、ママに抱かれた小さな女の子 
「日本民家園で一日中遊びたいから、施設環境を整えます!」

でも、これを書いたのは、本当はパパさん
「民家園ってすばらしくて1日じゃ回れないくらいなのに、お昼を中で食べることができないから、長居できないんです。もう少し施設を充実させて、1日たっぷり遊べるようにしたいです。」

福田市長 
「問題意識はまったくいっしょです。あそこは食べるところが少なすぎる。ボクももう3年くらい働きかけていますが、なかなか上手くいかなくて。でも、もっと活用できるように改善していきたいと思っています。」

続いて今度は、ママさんから
「私が市長になったら、待機児童をゼロにします。といっても、それは無理だと思うのですが、保活のプロセスでイライラしなくて済むような川崎になってほしい。保育関係の手続きがとても面倒です。」

福田市長 
「来年あたりから、AIを導入しようと思っています。今は一人一人の条件を人の手で整理しているけれど、AIを使うことでスピードを高めたいと思っています。それが、どこまで申請者のストレス軽減につながるかはやってみないとわからないけれど、がんばります!」

一人ひとりの公約を丁寧に聞いて、誠意ある受け答えをしてくださる福田市長。とっても素敵でした。最後に公約宣言をした人が市長を囲んで記念撮影をパチリ!

その後福田市長は、土曜日にもかかわらず、次のお仕事先に向かわれました。

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