アメリカ合衆国ウィスコンシン州留学体験レポート「逆境の先にある成長」

海外体験ルポ
レポーター紹介

長谷部 喬

N高等学校三年生

Host School:Stanley-Boyd High School

逆境の中で培った大きな自信

人は逆境にあってこそ真価を発揮する。」

誰しもこのようなフレーズを一回は耳にしたことがあるのではないでしょうか。私もこれまでにこのような精神論めいたフレーズは何度も聞いてきましたが、このフレーズに込められていた意味をしっかりと理解していなかったと思います。

逆境にある、つまり決して順風満帆ではない状況など訪れなければそれが一番無難で幸せであるのではないかと考えており、このフレーズに対して疑問を抱いていました。

しかし、今回の留学ではこの「逆境にある」ことの本当の意味、そしてその意義を理解し、その中で「真価を発揮する」までのプロセスを学び、その先には大きな人間的成長と逆境の中で培った大きな自信が待っていました。

チーズとビール以外は何もない広大な州

総括的な留学の経験をつづる前に、ここで私の滞在先であったウィスコンシン州について簡単に紹介したいと思います。

私が勝手にウィスコンシン州にキャッチフレーズをつけるとしたら、チーズとビール以外は何もない寒い州」です。

平らで広大な土地を活かした牧畜や穀物類の栽培によって、ウィスコンシン州ではチーズとビールの生産が非常に盛んに行われています。特にチーズはウィスコンシン州の特産とされ、アメリカ全体26%のシェアを誇ります。

Green Bay Packersというウィスコンシン州グリーンベイに本拠地をおくNFLチームのファンは、チーズの形をした帽子をかぶって観戦し、お互いに「チーズヘッド(チーズ頭)」と呼び合うほど、チーズはウィスコンシン州の代名詞となっています。

私は未成年なので、残念ながらアメリカ本場のウィスコンシンのビールを味わうことはできませんでしたが、チーズは留学中に何度もその味を楽しみました。ただ、キャッチフレーズにあるように、ウィスコンシン州にはチーズとビール以外は何もありませんでした。

果てしなく広がる広大な農地や牧場の先には地平線が私を包囲するように通っており、その地平線を横切るものは時折通過する車だけでした。

日本で地平線が観測されるのは北海道だけだと言います。私がウィスコンシンで確認した地平線が科学的に本当の地平線であったかは定かでありませんが、少なくとも、私が地面に足を付けて立っていた大地が地球を覆い被さるかのように君臨する存在感や自然の威圧感は、日本で体感することはできないものでした。

ウィスコンシン州には何もない。何もないからこそ、地球の広大さや偉大さ、そして自分の存在のちっぽけさや実在感を感じ取ることができました

都会でしか住んだことがない私にとって、ウィスコンシン州スタンリーのようなド田舎で一年間を過ごすという新しい経験は、私を人間的に一回り大きくしてくれた一つの要因であったと考えます。

前代未聞!withコロナの留学

さて、ここからは私がこの留学で得た経験や教訓をつづりたいと思います。

まず、私が今回得た留学の経験は一般的に留学で得られるであろうものとは異質であったと思います。私が得たものは、外国語の力や外国での友達だけでなく、それらをはるかに超えた自信や経験です。

そう、私がこの留学で得たものは何か表現できる理由として、この留学がCOVID-19のパンデミックの最中であったことが挙げられます。今考えれば、留学する前から人間的に成長できる機会や苦悩が待ち受けていました。

2020年8月に出国することになっていた私たちは、そもそも留学ができるかどうかすらわからない状況の中で一年間の留学に備えて準備しなければなりませんでした。その先の見えない不安や将来への不安は体験したものにしかわからない感情だと思います。先が見えない中での前進を余儀なくされたのです。

今、こうやって振り返れば、あの期間は先が見えない中でも努力する大切さや忍耐力をつけることができる良い機会だったのかなとも思います。

そしていざ留学生活が始まってからも、COVID-19による障害は大きなものでした。私の通った学校では、最初の2学期は週2日しか登校する事が許されておらず、機会が限定された中での人間関係の構築には大変な苦労を強いられました。

“With コロナ”の留学は前代未聞であり、これに適応することは簡単なことではありませんでした。このような予期せぬ制限や実害がある逆境で私たちが求められていたことは、どうやってこの厳しい状況下での留学生活を楽しもうか、と前向きに考えることだったのではないでしょうか。

そして、私がこの前例のない、いわば過酷で劣勢な留学で意識して取り組んだことは、とにかく自分や自分の状況を自分以外のものと比べないこと、そしてポジティブでいることでした。

「去年留学できていればなぁ」「あの友達はコロナ渦でも留学、楽しそうだなぁ」など、今から変えるにも変えようのないどうしようもないことを、他人や他の環境と比較して、自分の運の悪さや自分が置かれている状況を憂い、嘆いても全くの無意味なことです。

むしろ、無意味どころか、自分自身の否定につながってしまい、負のスパイラルに陥ってしまいます。他人と比較せずに幸せをつかむ、ポジティブな姿勢で幸せをつかむ、私はこれらの重要性を頭では理解しながらも、その実現には苦労していました。

アメリカ人の国民性に影響されて

しかし、この能力は留学を通じて、無意識についてきたように感じます。

それは、大らかでフレンドリーで楽観的でマイペース、他者との関わりは大事にしつつもお互いに得があるような関係を築くことを意識し、適切な距離を保ち、他人と比較することによる自己嫌悪に陥ることがめったにないアメリカ人(特に田舎に住む人々)の国民性に知らず知らずのうちに影響されていたからでしょう。

勿論、このように多くの影響を留学生活で多くの影響を受けた理由のひとつには、私の主体的で積極的な姿勢にあったと思います。

時には自己嫌悪に陥ることもありましたが、それでも前向きにこの経験から多くの物を受け取り、吸収しようと思っていたこの姿勢こそが、日本人が持ち合わせることの難しいアメリカ人の素晴らしい性質に影響を受けて自分のものとして取り込むことができた大きな要因だったと考えます。

野球部の活動で芽生えた仲間意識

8月から始まった留学も終盤に入り、日本に帰国することへの待ち遠しさやアメリカを離れることへの寂しさを感じていた時期には、私は、以前のように他人と比較して落ち込むようなことは決してなく、自分を高め合えるような人間関係の構築方法や思考方法を手に入れていました。

そして、このような思考を持つ人間にこそ、自分の真価を発揮できる場が用意されている、もしくは、そのような場をつかみ取ることが出来るという考えが確信に変わりました。

私がわれながら自身の真価を発揮できたと体感した場面は、野球部で活動していた時でした。そしてもちろん、この野球をしている時間が留学生活で一番充実して幸せな瞬間であり、まさしく生きている心地がした、何事にも変え難い時間であり、最高の思い出となりました。

スポーツを通じたコミュニケーションは、単に意思疎通する言語能力を上達させただけでなく、どうすればチームとしての完成度を高めることができるか、どのような行動がチームの勝利に貢献できるか、信頼関係をどう構築するか、などといった言語を超えたレベルでの成長につながりました。

私は、留学中の野球部での活動を通じて、言語を超えて仲間意識が芽生えるスポーツの偉大さを実感するとともに、私が留学生活を通じて意識していた、較せずに互いを高め合うポジティブな姿勢を習得することができたと言っていいでしょう。

これから留学を考えている人へ

私の人生はまだまだこれからです。

これからは以前のように逆境に立たされることをマイナス要素と捉えるのではなく、むしろ成長ができるチャンスとしてそれを楽しみ、留学で得た経験や姿勢やスキルを駆使し、さらなる成長に向かって一歩一歩前進したいと考えます。

また、私の留学を支えてくれた家族、ホストファミリー、学校の先生、派遣団体の方々、アメリカの友人ら、関わってくれた全ての方々への感謝を忘れることなく、自分の理想を追求するだけでなく、周囲に貢献することにも努めたいと思います。

最後に、勝手ながらこれから留学を予定している方、もしくは、留学しようか悩んでいる方にメッセージを送りたいと思います。

留学で海外に赴く経験をすることは、将来の可能性を広げる方法の一つです。裏を返せば、将来のために今何ができるかの選択肢の中の一つに過ぎません。

なので、あまり留学に焦点を置きすぎず、また、留学に行って思い通りにうまくいかない場合も、留学の充実さに焦点を置きすぎないで良いと思います。

青年期に自らを試す挑戦する決断をしたということだけでも価値があり、大きな可能性を開くきっかけになると私は思います。そして、いざ留学に行った時には、旅の恥はかき捨て、という言葉を胸に思いっきり暴れてきてください。

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